日月神示一覧

霊界でも食物を食べる

様々な野菜

 

日月神示によると、霊界の人は、この世と同じように食物を食べるという。


霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化する

この世でも、人の内分によって食べるものが、それぞれ違ってくる。人の内分が高まると、食物も質の良いものに変わってくる。
逆に、ジャンクフードなどの質の低いものを好む人は、内分が低い人が多い。

日本の昔の和食は、とても質が高く、日本人に理想的な食べ物。
これは、日本人の内分の高さが関係している。

その他、フランス料理やイタリア料理など、それぞれの国の人の内分によって、食べるものが変わる。

「食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである」

「食べるということは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである」

霊人と食物が調和して、歓喜となる。歓喜とは神のこと。
食物を食べて美味しいと感じることは、神の歓喜が関係している。


霊人は、植物性のものを好み、動物性のものは好まない。
性の遠く離れた食物ほど神の歓喜の度が強くなる。


この世でも植物性の食べ物のほうが、体が元気になるし、健康に良い。
動物性を多く食べると、気分が悪くなる。
植物性がいいのは、歓喜の度の強さが関係していた。


食物を食べることは、神の歓喜を食べることなのです。

 

日月神示
地震の巻 第15帖

霊人はまた、いろいろな食物を食している。
言うまでもなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。


食べられる霊食そのものも、食べる霊人もいずれも食べる、ということによって歓喜しているのである。

地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。
そして、食べるということは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。


霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。


これらの行為は、本質的には、地上人と相通じる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合いおよび表現には大きな差がある。

食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。

以上のごとくであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのかわからないほどである。

また霊人の食物は、その質において、その霊体の持つ質より遠く離れたものを好む。
現実社会における、山菜、果物、海藻等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。


何故ならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強くなって来るからである。

霊人自身に近い動物的なものを食べると歓喜しないのみならず、かえって不快となるからである。

そして霊人はこれらの食物を歓喜によって調理している。
そしてまた与えられたすべての食物は、悉(ことごと)く食べて一物も残さないのである。

 


この世の何を拝んでもいい

きれいな家

 

日月神示に「宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処つかんで拝んでもよいのである」とある。

人は、昔から様々なものを拝んで来ましたが、基本的に何を拝んでも良かったのです。

 

これに関する私の経験を書きます。

左馬とひょうたん

3年ほど前に、デパートで1,5センチほどの左馬とひょうたんがセットになった縁起物を5000円ほどで買った。

左馬は、将棋の駒に馬の字が、左右逆に書かれていて「まう(舞う)」という意味で縁起が良い。

ひょうたんは、上下がねじ式になっており、色々な縁起物が詰まっている。
水晶、ひょうたん、サイコロ、カエル、七福神の大黒さんと恵比寿さんなどが入っている。

70歳位のお爺さんが販売していて、色々とお話してくれた。
私は、昔の人はこんなユニークな物を作っていたのかと思い、日本の昔の文化を学ぶつもりで、これを買った。

これをいつもパンツのポケットに入れていた。たまに握りしめたり、磨いたりした。

それからは、ひょんなことから、人から思いもよらぬ物を貰うラッキーなことが何度かあった。
これは、ひょうたんをいつも持っていたからかもしれない。
というのも、貰ったものは、ひょうたんに形が似ていることが多かった

どんぐり

次に、他にもいつもポケットに入れておくといいと思い、どんぐりを1つポケットに入れておいた。

すると、知り合いのお婆さんから、自分の庭で植えているグミの木の枝を切ったものを何度か頂いた。
グミの木を人から頂くのは、生まれて初めて。

グミの木の実は、赤くて形が、どんぐりに似ている
これもやはり、どんぐりをいつも持っていたからかもしれない。

初めに書いた左馬とひょうたんのセットの縁起物は、昔の人がいつも持っていると、同じようなものを引き寄せることを、多分知っていたのでしょう。
良い知恵です。

 

自分の家と食べ物

まず、多くの人が大切にしなければならないのは、自分の家と食べ物です。

家を毎日掃除し、整理整頓する。
毎日の食べ物に感謝する。
これは、生活の基本です。
そうすると、嬉しいことが起きてきて、生活が良くなっていく。

その他にも、お金が好きなら、お金をいつも大切に扱うといい。お金が不思議と手に入るようになる。
服が好きなら、服をいつもお手入れすると、また新たな服と出会えることがある。

自分の好きなものや、欲しいものを大切にするといいです。

 


日月神示
春の巻 第22帖

宇宙の総てはこの神の現れであり
一面であるから
その何処つかんで拝んでもよいのである
その何処つかんで、縋(すが)ってもよいのであるぞ

 

水の流れも宗教ぞと申してあろう
総てに神の息、通っているぞ
一本の箸拝んでもよいのじゃ
ちゃんとめあて、決めねばならん

 


月光之巻 第23帖

金が好きなら金を拝んでも良いのじゃ
区別と順序さえ心得て居れば
何様を拝んでもよいぞ

金を拝めば金が流れて来るぞ
金を拝み得ぬイコヂ(意固地)さが
そなたを乏しくしたのじゃ赤貧は自慢にならん、無神論も自慢にならん

清貧は負け惜しみ
清富になれよと申してあろうが
清富こそ弥栄えの道、神の道
大ひつき大神のマコトの大道ぞ

 

 


友を作る秘訣 友に捧げる

 

前回に友を作ることが大切と書きました。
人、動物、植物、鉱物と友となる

犬や猫の動物や植物は、素直な心を持っているので、親しくするのは、難しくないですが、人との関係は、そう簡単ではないことも多いです。

特に、初めて会う人や、好きな異性や、苦手に感じる人、仕事で会う人といい関係を築くのに、悩むことは多い。

友を作るには、どうすればいいのか。


自分が相手の人になりきってみて、その人の立場を想像することです。

そうすると、自分がどうすれば相手が喜んでくれるか、逆にどうすれば嫌と思うかが、ある程度分かってくる。
そして、相手の為を思って、相手が喜んでくれることを行うことです。

 

まずは、自分の親や兄弟や友人などの、自分が親しい人に優しく接することから始めるといいです。
慣れてくると、自分が想像するだけで、何をすれば喜んでくれるか、逆に何をすれば嫌と思うかが分かってくる。

 

繰り返し行なっていくと、想像力やコミュニケーション能力が付き、きっと人といい関係が、築けるようになる。

 


日月神示

月光之巻 第56帖

 

そなたはいつも孤独
そなたの不運は孤独からじゃ
友作れよ
友を作る事は己を作る事と申してあろが
友を作る事は新しき世界を作る事ぞ


一人の世界は知れたものぞ

一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ友と申しても人間ばかりでは無いぞ
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ
大地も大空も皆友となるぞ
何もかも皆友じゃ 皆己じゃ

皆々己となれば己は無くなるぞ
己無くなれば永遠に生命する
無限の己となるのじゃ

御神前で拝むばかりでは狭いぞ
野菜拝めば野菜が
魚拝めば魚が己となるのじゃ


拝むことは「和す」こと

和すことが友作る秘訣ぞ
友を己とすることは、己を友とすることじゃ
友に捧げることじゃ

親は子に捧げるからこそ、子が親となるのじゃ

分かったか

 

 


一二三の食べ方で病気が治る

 

和食

 

日月神示

日の出の巻 第8帖

ヒフミの食べ物に病無いと申してあろうがな
一二三の食べ方は、一二三唱えながら噛むのだぞ

四十七回噛んでから呑むのだぞ
これが一二三の食べ方頂き方だぞ

神に供えてから、この一二三の食べ方すれば
どんな病でも治るのだぞ
皆の者に広く知らせてやれよ

心の病は一二三唱える事に依って治り
肉体の病は四十七回噛む事によって治るのだぞ
心も身も分け隔て無いのであるが
会得(わか)る様に申して聞かせているのだぞ
取り違い致すでないぞ

 

上つ巻 第17帖

この世はみな神のものざから
臣民のものと云ふもの一つもないぞ

お土からとれた物、みな先づ神に供へよ
それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに
神には献げずに、臣民ばかり喰べるから
いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ

何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ
今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ

 

 

一二三祝詞は、文字数が合計で47。

日月神示 一二三祝詞するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。しまひだけ節(ふし)長くよめよ、それを三たびよみて宣りあげよ

神の息に合はすのは、三五七に切って宣る。

ひふみ祝詞(○印拍手)
 
○○○ひふみ○○○よいむなや○○○○○こともちろらね○○○○○○○しきる○○○ゆゐつわぬ○○○○○
 
 
そをたはくめか○○○○○○○うおえ○○○にさりへて○○○○○のますあせゑほれけ○○○○○○○○○
 
 
 いろは祝詞(○印拍手)
 
 
○○○いろは○○○にほへとち○○○○○りぬるをわかよ○○○○○○○たれそ○○○つねならむ○○○○○
 
うゐのおくやま○○○○○○○けふこ○○○えてあさき○○○○○ゆめみしゑひもせすん○○○○○○○○○○

 

日月神示 下つ巻 第七帖

一二三祝詞するときは、神の息に合はして宣(の)れよ、
神の息に合はすのは三五七、三五七に切って宣れよ。
しまひだけ節(ふし)長くよめよ、
それを三たびよみて宣りあげよ。
天津祝詞の神ともこの方申すぞ

日月神示 キの巻 第一帖 

節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、
拍手は元の大神様の全き御働きぞ、
タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、

御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、
言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。
節分境に何も彼も変りて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。

 

【ひふみ祝詞】森羅万象と交響し、宇宙と同化する大いなる言霊の力(一二三祝詞)

 

この動画の概要欄の解説がとても良いので、ここに引用させていただきます。引用が問題があれば削除します。

 


「ひふみ(一二三)祝詞」、平仮名の四十七音(濁音、半濁音を除く)から構成される祝詞ですが、その由来は諸説あり明らかになっていません。 その謎・神秘性から良くも悪くも人々を惹きつけてきました。

「曰くつき」ということで安易に口にすべきではない祝詞と言われたりもします。事実、様々な謂れ・解釈がありますが、個人的にその真偽・正統性をここで検討することは致しません(比較検討する過程で、お読みになる方に「心の乱れ」が誘引されるなら それは本末転倒ですから)。

ただ、間違いなく断言できることは「正しく詠唱すれば」間違いなく大いなる言霊の力が授けられるということです。では、「正しい詠唱」とは何か? この点について細かく指導される方もおられますが、 外せない基本であり、かつ到達点は「心を無にして祝詞の音と同化すること」です。

【祝詞の意味】を考える必要はありません(思考領域を超えています)、一音一音を意識しながら発声し、自らが「神の楽器」のように心身の中心から「音を交響」させることができれば、その神威が体感できるはずです。

その神威とは森羅万象・宇宙と交響・同化する己自身そのものです。 その意味では「形式」に過度に囚われる必要はありませんが、畏れ多い存在を前にして最上の敬意を表すにはどういう振舞いをするか?と問えば、正道は外さないと思います。

なお、拍手を打ちながら奏上することが推奨されていますが、個人的には非常に有益だと感じます。この動画では「拍手」を入れていませんが、手拍子を入れながら「全身で楽しく明るく歌うように」奏上するのが最上の「ひふみ祝詞」です。

自身が「神の遣い」として神威に「神楽(かぐら)」を奉納すると言うのが近いかもしれません。それ故に「その神楽の音調」と同化することで、神威と一体化する…と。 自らという「楽器=神楽の器」を調律するのは容易ではなく、一朝一夕にできるものではありませんが、日々意識的に詠唱・調律していれば「この感覚!」という自身の調和点に突然導かれるでしょう。

また、「ひふみ祝詞」は3回繰り返した後、「ひふみ ゆらゆら ゆらゆらと ふるへ」と終える形(その内容も論者で異なる)が理想とされますが、上で述べたように「音との交響」こそ全てなので、「形式」はゆっくり整えて行かれるが宜しいかと思います。 繰り返しますが、「無心」が大切です。

化しよう 邪を祓おうとか願いを引き寄せようなどの考えはひとまず置いておいて、ただただ心静かに「有り難く音と一体化する」ことです。祝詞と同化したその者自身が神器・神域パワースポットとなる、それが「ひふみ祝詞」の神髄です。


 

これを唱えながら噛むとありますが、もちろん声を出しながら、噛んで食べることはできないので、私は心の中で、一二三祝詞を唱えて食べています。
47回を数えるのは面倒ですが、一二三祝詞が47文字なので、便利です。

噛む回数は、あまり気にしなくてもいいと思います。

一口にだいたい47回くらいのつもりで。 

 

ひふみともこさんも一二三祝詞について書いています。

神に最も近づく祈り「いろは」「ひふみ」

一二三祝詞は、高天原の神の界にも、声は届いて共鳴する。
一二三祝詞の意味を知らず、音のみでも祈りは届く。


何度も噛むことは、とても健康に良い。

食べ物が唾液と混ざり細かくなって、消化が良くなる。
小さい頃からよく噛むことで、顎が鍛えられる。

注意点は、強く噛みすぎると歯が弱かったり、かみ合わせが悪いと、歯を痛めることがあります。かみ合わせが悪いと歯を痛めやすい。
歯医者でかみ合わせを治してもらいました。

 

神に供えてからこの一二三の食べ方すれば、どんな病でも治るのだぞ
どんな病でも治ると言い切っているのがすごい。

心の病は一二三唱える事に依って治り
肉体の病は四十七回噛む事によって治るのだぞ
心の病と肉体の病では、治し方が違う。
各人の病気によって治し方を変えること。


現在は、私は病気ではないので、この食べ方で病気が治る体験はないのですが、ガン、糖尿病、高血圧、うつ病など治療が困難な病気の方は、試してみてもいいと思います。
病気が快方へ向かうでしょう。

 

日月の巻 第25帖

臣民一日に二度食べるのざぞ、
朝は日の神様に供へてから頂けよ、夜は月の神様に捧げてから頂けよ、
それがまことの益人ぞ。

 

食事は朝は日の神様に、夜は月の神様に捧げてから頂く。
食べざかりの子供は、3食が良いですが、中年以降は1日2食でも良い。
3食なら腹七分くらい。
食べ過ぎは不運になるし、健康にも悪い。

 

日月神示をよく読むと必ず病気が治る

日月神示をよく読むと身魂磨きになり必ず病気が治る。
「この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ」
と書いているので、洗濯が終わるまで読み続けること。

日月神示を声に出して読んでくれとも書いている。

 

日月神示

富士の巻 第13帖

この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、
さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、
必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、

洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、
あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、
神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、
よくこの神示読んで呉れよ。
よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。
臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、
神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もあるのぞ。

 

 

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生まれ赤子の素直な心

 

生まれ赤子の素直な心

人間の学や智も、なかなか立派なもので、人の生活に役立つこともありますが、神の力には到底及ばない。


むしろ科学の発達が、核兵器、原発、環境破壊などを生み出し、地球を大きく破壊する危険性も出てきている。

この先も科学は発達していくが、進歩すればするほど、地球を破壊、汚染し、資源を枯渇させ、むしろ人間が住みにくくなる可能性がある。
このことを科学者は、十分に考える必要がある。


日月神示に「人間心捨てて仕舞って、智恵や学に頼らずに、神の申すこと一つも疑わず、生まれ赤子の心のうぶ心になって、神の教え守ることぞ」とある。


邪気のない、生まれ赤子のような素直な心でないと、神の申すことは分からない。

素直な心で神の教えを守り、ミタマを磨くことで、自分の器が大きくなり、生活が良くなっていく。

 

 

 

 

日月神示

磐戸の巻 第16帖

世の元からの生神が揃って現れたら
皆腰抜かして、目パチクリさせてもの言えん様になるのだぞ

神徳貰った臣民でないと中々越せん峠だぞ
神徳はいくらでも背負いきれん迄にやるぞ
大きい器持って御座れよ
掃除した大きい入れものいくらでも持って御座れよ神界にはビクともせぬ仕組み出来ているのだから安心して御用つとめて呉れよ
今度はまことの神の力でないと
何も出来はせんぞと申してあろうが

日本の国は小さいが天と地との神力強い
神のマコトの元の国であるぞ

洗濯と申すのは
何事によらぬ、人間心捨てて仕舞って
智恵や学に頼らずに、
神の申すこと一つも疑わず
生まれ赤子の心のうぶ心になって
神の教え守ることぞ


ミタマ磨きと申すのは

神から授かっているミタマの命令に従って
肉体心捨てて了って
神の申すことは背かん様にする事ぞ

学や智を力と頼むうちはミタマ磨けんのぞ

学越えた学、智越えた智は
神の学、神の智だと云うこと分からんか


梅の巻 第15帖

科学科学と人民申しているが
人民の科学では何も出来ん
乱すばかりじゃ

神に尋ねて神の科学でないと何も成就せんぞ
分からなくなったら

神に尋ねと申してあること忘れるなよ
一に一たす二ばかりとは限らんのじゃ
分かったか

 

 


少食で人生が開運する!

人生の開運

 

現代の日本は、多くの人は食べ過ぎている。
食べ過ぎると、病気の大きな原因になる。
腹八分が内蔵に負担をかけず、快適に過ごせる。
少食は健康以外にも人生の開運にもなる。


日月神示では、
「人民に与えられているものは食物だけじゃ。
日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ。

その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ
病治るのじゃ」とある。

人に与えられているのは、食べ物だけ。
それ以外は、所有していても人のものではない。

その食べ物を大切にして、神様に捧げることで運が開ける。

私の場合は、神に捧げるといっても、食事の前に10秒ほど心の中で神に捧げるイメージを持ち、そして「頂きます」と言ってから食べる。

 

食べ過ぎたときは、次の食事を少なくするか、食べないようにするといい。
満腹まで食べることが好きな人は、健康や開運のために努力するしかない。

昔の和食を基本にする。ひふみの食べ方をする。
国産の農薬の少ない野菜を食べ、肉類を控え、何度もよく噛むといい。

これは、昔の日本人が長年してきたことです。

私は若い頃は、どんなに食べても太ることはなかった。
40歳を過ぎたあたりから、同じ量を食べてもお腹に脂肪が付いてきた。
体のエネルギーの消費量が減ったのかもしれない。
中年は意識して節食や運動をしないと太ってしまう。
You Tubeにも食事や運動の動画があるので、参考にしています。

 

江戸時代の観相家 水野南北

江戸時代の観相家の水野南北は「節食開運説」を唱えた。

水野南北「真心を込めて祈らなければ、神は感知してくれない。
真心を込めて祈るとは、自分の命を神に献じることである。
そして食は、自分の命を養う基本である。
これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。

いつもご飯を三膳食べる人なら、
二膳だけにしておいて、一膳を神に献じる。
といっても本当に一膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、
心の中で念じればよい。
自分が祈りを捧げたい神仏を思い浮かべて、
その神仏に向かって『三膳の食のうち一膳を捧げ奉ります』て言う。
そうして自分で二膳を食べると、その一膳は神仏が受け取ってくれる。
そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。
小さい願いごとなら一年で、普通の願いごとなら三年、
そして大望は十年で叶うのである」

日月神示と同じことを水野南北は言っている。素晴らしいです。

究極の開運法【食は運命を左右する】10分要約 水野南北著

 

【水野南北】3年で運勢が良くなる食事:「南北相法・修身録(全)」を解説①【本要約】
【水野南北】100%大開運する生活法:「南北相法・修身録(全)」を解説②【本要約】

 

日月神示

冬の巻 補帖

食物、食べ過ぎるから病になるのじゃ
不運となるのじゃ
口から出るもの、入るものに気つけよ
戦起こるのじゃ

人間の病や戦ばかりでない
国は国の、世界は世界の
山も川も海もみな病となり、不運となって来るぞ
食べないで死ぬことないぞ
食べるから死ぬのじゃぞ

 

一椀をとって先ず神に供えよ
親に捧げよ 子に捧げよ
腹八分の二分は捧げよ
食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ
神に捧げずに貪(むさぼ)るからメグリ積むのじゃ
メグリが不運となり、病となるのじゃぞ

 

運ひらくのも食物慎めばよい
言慎めば良い
腹十分食べてはこぼれる
運は詰まってひらけん
この分かり切った事、何故に分からんのじゃ

捧げるからこそ頂けるのじゃ
頂けたら捧げると今の人民申しているが
それがウラハラと申すもの
衣類も家も土地も、みな神から頂いたので無いぞ
預けられているのであるぞ


人民に与えられているものは食物だけじゃ

日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ
その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ 病治るのじゃ

 

人民日干しにはならん
心配無用
食物、今の半分で足りると申してあろうが


遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ

運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ
そんなこと位で、病治ったり運ひらける位なら
人民はこんなに苦しまんと申すが
それが理屈と申すもの
理屈悪と申してあるもの
低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ
理屈捨てよ
捨ててやって見なされ

みなみな気づかん理(みち)
気づかん病になっているぞ
ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか
食物節すればツキモノ改心するぞ

先ず百日をめあてに
百日過ぎたら一年を
三年続けたら開運間違いなし
病も無くなってうれしうれしとなるぞ
三年目、五年目、七年目
めでたいナァ、めでたいナァ

 


自分の悪い癖を治す

 

誰にでも悪い癖、変な癖のようなものは、持っているものです。

例えば、嫌いな人を憎むことは、よくあること。

仕事や日常の生活で、嫌な人がいるものですが、その人をいつも心のなかで憎むと、その思いがカルマとなり、自分に返ってきて自分がまた嫌な思いをする。
いつまでたっても嫌な思いをすることになる。
これは、性格の良くない人によくあることです。


逆に言うと、いつも嫌な思いをするとしたら、自分に悪い癖があるということです。

ですから、人を憎む悪い癖を直す努力をしなければならない。
時間はかかりますが、努力で直せる。

 

私も仕事で嫌な人を憎むことがたまにありましたが、心を平静に保ち、素直な心でいるようにすると、少しずつ嫌な思いをしなくなっていきました。
自分が経験することは、自分の心の反映。


日月神示では「そなたの持つ悪い癖を治して下されよ。その癖治すことが御神業ぞ」とあるので、多くの人が持つ悪い癖を直すことは、とても大切なことです。

直すことで、自分がな思いをしなくなっていく。

 

 

 

日月神示

月光之巻 第52帖

そなたはつまらん事にいつも心を残すから
つまらん事が出て来るのであるぞ
心を残すと云うことは
霊界との繋がりがあることぞ
つまらん霊界にいつまでくっついているのじゃ
何ごとも清めて下されよ

清めるとは和すことであるぞ

同じもの同志では和ではない
違ったものが和すことによって
新しきものを生むのであるぞ

奇数と偶数を合わせて

新しき奇数を生み出すのであるぞ
それがまことの和であり清めであるぞ

善は悪と、陰は陽と和すことじゃ

和すには同じあり方で
例えば五と五との立場で和すのであるが
位(くらい)においては陽が中心であり
陰が外でなければならん。

天が主であり、地が従でなければならん

男が上で女が下じゃ
これが和の正しきあり方ぞ
逆さまならんぞ
これを公平と申すぞ

口先ばかりで良い事を申すと悪くなるのじゃ

心と行が伴わねばならん
分かり切ったこの道理が行われないのは
そなたを取り巻く霊の世界に幽界の力が強いからじゃ
そなたの心の大半を幽界的なもので占めているからぞ
己自身の戦まだまだと申してあろうがな
この戦中々じゃが
正しく和して早く弥栄え結構ぞ

そなたの持つ悪い癖を治して下されよ
その癖治すことが御神業ぞ
自分で世界を立て直す様な大き事申して御座るが
そなたの癖を治すことが最も大切な御用でないか
これに気がつかねば落第ぞ

 


自分の中に悪がなければ、悪を経験しない

人生の開運

 

私生活や仕事で、人から悪く言われたり、悪さをされたりすることがある。
これは、自分の中にその悪があるから自分が悪い経験をする。

自分の中に悪がなければ、悪を経験することがない。
悪は、同じ悪にのみ働きかける。善には働かない。
悪を憎んではいけない。

自分の中=外の世界

これは、個人だけでなく、家族や国などの、それぞれの単位でも同じことが言える。

 

私も過去に、学校の同級生に殴られて、顔が大きく腫れ上がったり、仕事の上司から意地悪をされたり、怒鳴られたことが何度かある。

その時は、悔しかったが、後で考えてみると、自分は過去に悪いことや間違ったことをいくつかしてきたので、それが自分に返ってきたのだと思った。

自分のこれまでの悪い行いを棚に上げて、自分が受けた悪を憎むのは間違い。

日々良い行いをして、身魂を磨きカルマを無くしていくと、少しずつ自分の行いが良くなり、また周りの人の行いも良くなってきている。
もう以前のような悪い経験をしなくなった。

悪い経験をしたら、悪を憎まず自分に悪があると反省し、行動を改善していかなければならない。そうしないと進歩しない。

心、言葉、行いで自分の中に悪を作らないことが大切。

日月神示 
青葉の巻 第十七帖

悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ、 悪く言うとメグリ作るのじゃ」 

人の悪口をよく言ったり怒る人は、逆に人から悪口を言われたり怒られて嫌な思いをすることになる。
しかし、自分の悪い行動を反省しないので、悪口を言ったり怒ることを何年も続ける。
そして、逆に人から悪く言われたり怒られて嫌な思いをずっと続けることになる。

人から悪く言われると、悪いカルマを取ってもらえたと、いい方向に考える。

 

日月神示

月光之巻 第53帖

そなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ
自分は正しい信仰をしているのだから
家族も知友も反対する理由はない

自分は正しいが他が正しくないのだから
正しくない方が正しい方へ
従って来るべきだと申しているが
内にあるから外から近寄るのだと
申してあろうが

そなたは無抵抗主義が平和の基(もと)だと申して
右の頬を打たれたら
左の頬を差し出して御座るなれど
それは真の無抵抗ではないぞ

よく聞きなされ
打たれる様なものをそなたが持っているからこそ
打たれる結果となるのじゃ

まことに磨けたら
まことに相手を愛しているならば
打たれる様な雰囲気は生まれないのであるぞ
頬を打たれて下さるなよ
生まれ赤児見よと知らせてあろうが

 

 

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日本の貧困対策 家の掃除など

きれいな家

 

現在、日本の貧困が、大きな問題になっています。

日本の貧困対策は、以前にブログで書きました。

ものを大事にする

あらゆるものを大切にし、豊かに暮らす

言葉は無限に与えられる

 

あらゆるものを大切にする。言葉をブログ、SNSなどでどんどん与える。
ボランティア活動をすることなどは、多くの人にできることです。

世のため人のために貢献する量を多くする

人に与えるものは、身のまわりに探すといくらでもある。
言葉は無料で与えられる。
ブログ、YouTube、ツイッターなどでも毎日言葉を発信できる。

自分が得る金額が、消費する金額を大きく上回るようにしなければならない。
仕事やボランティア活動などで、人にどんどん与えることです。

家や土地を毎日掃除する

多くの人は、家や土地を毎日掃除するだけで、豊かになるとは思っていません。
これは、誰にも教わらないので、当然のことです。
小学校で生徒に教えてもいいと思います。

実際に掃除すると、嬉しいことが起きてくる。

そして、家や土地は本来は自分のものではなく、神のものであることが、少しずづ分かってくる。神のものを毎日大切にすると、嬉しいことが起きてくる。

 

日月神示
何もかもてんし様のものではないか。
それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して
自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ」

「人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。」
とあります。

 

健康

日本人のガンなどの病気の急増で医療費も急増している。
健康になれば、医療費の負担も減る。
健康法もこのブログで何度も書いています。

日本の学校給食は、毎日パンと牛乳。
アメリカの小麦や牛の飼料を使っている。
農薬、遺伝子組み換え、日本へ運ぶための防腐剤、放射線などで病気になる。

日本の米や味噌汁の方が、はるかに健康的。
パンは米粉、動物性の牛乳よりも植物性の豆乳の方が良い。

お金儲け目的の医療は、やめなければならない。
日本は医療費やギャンブルなど、兆単位の無駄な出費が多い。

 


自分のできることから、どんどん行動することです。

行動する人が増えていけば、日本から少しずづ貧困がなくなっていく。

 


 

日月神示
富士の巻 13帖 

何もかもてんし様のものではないか。
それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ。

一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ。
一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。

冬の巻 補帖

人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。
日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。
その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。

日月の巻 第1帖

此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。
早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。

 

 

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タトゥーや整形は、不幸になることが多い

タトゥー

 

ファッションや美容のために、タトゥーや整形をする人がいますが、これは、大切な体を傷つけるので、カルマを作ると思います。
カルマを作ると苦しむので、なるべくしない方がいいです。

タトゥーと入れ墨

タトゥーは、皮膚を針で刺す。
当然、痛いし血は出るし、腫れる。
数日間は熱も出る。
怪我するのと同じ。

化粧は皮膚に塗るだけですが、タトゥーは皮膚を傷つけるので、化粧とは全く違う。

整形

整形手術も大切な顔や体を傷つけるので、カルマを作ると思います。
整形後も老化とともに違和感がでるので、整形前の自然のままの方がよかったということもよくある。
整形もなるべく、しない方がいい。

自傷行為

自分の体を傷つける自傷行為も、カルマを作り、苦しむことになる。

・リストカット
・手足を叩く、噛む
・自分で髪の毛を抜く

 

有名人の中には、タトゥーや整形をしている人がいますが、その人達は、麻薬を使用するなど何かの問題や病気などを抱えていることがよくある。
これは、タトゥーや整形で作ったカルマが、関係していることがあると思います。
逆にいうと、タトゥーや整形をして、何かの問題や病気が無いことは少ない。

人は、タトゥーや整形を見ると、違和感を感じる。あまりいい印象は待たない。
これは、大切な体を傷つけることが関係している。

 

人の身体は、神からお預かりしている尊いもので、大切にしなければならない。
人体を傷つけると、カルマで苦しむ。

 

日月神示
富士の巻 第14帖

臣民にわかる様にいふなれば
身も心も神のものざから
毎日毎日 神から頂いたものと
思えばよいのであるぞ

それでその身体をどんなにしたら
よいかと云ふこと分かるであろうが

夜になれば眠ったときは神にお返し
してゐるのざと思へ
それでよく分かるであろうが

身魂みがくと申すことは
神の入れものとして神からお預りしてゐる
神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ

 

 

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