少食で人生が開運する!

人生の開運

現代の日本は、多くの人は食べ過ぎている。
食べ過ぎると、病気の大きな原因になる。
腹八分が内蔵に負担をかけず、快適に過ごせる。
少食は健康以外にも人生の開運にもなる。


日月神示では、
「人民に与えられているものは食物だけじゃ。
日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ。

その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ
病治るのじゃ」とある。

人に与えられているのは、食べ物だけ。
それ以外は、所有していても人のものではない。

その食べ物を大切にして、神様に捧げることで運が開ける。

私の場合は、神に捧げるといっても、食事の前に10秒ほど心の中で神に捧げるイメージを持ち、そして「頂きます」と言ってから食べる。

食べ過ぎたときは、次の食事を少なくするか、食べないようにするといい。
満腹まで食べることが好きな人は、健康や開運のために努力するしかない。

昔の和食を基本にする。ひふみの食べ方をする。
国産の農薬の少ない野菜を食べ、肉類を控え、何度もよく噛むといい。

これは、昔の日本人が長年してきたことです。

私は若い頃は、どんなに食べても太ることはなかった。
40歳を過ぎたあたりから、同じ量を食べてもお腹に脂肪が付いてきた。
体のエネルギーの消費量が減ったのかもしれない。
中年は意識して節食や運動をしないと太ってしまう。
You Tubeにも食事や運動の動画があるので、参考にしています。

江戸時代の観相家 水野南北

江戸時代の観相家の水野南北は「節食開運説」を唱えた。

水野南北「真心を込めて祈らなければ、神は感知してくれない。
真心を込めて祈るとは、自分の命を神に献じることである。
そして食は、自分の命を養う基本である。
これを神に献じるということは、自分の命を献じるのと同じことである。

いつもご飯を三膳食べる人なら、
二膳だけにしておいて、一膳を神に献じる。
といっても本当に一膳分を神棚なら神棚にお供えする必要はなく、
心の中で念じればよい。
自分が祈りを捧げたい神仏を思い浮かべて、
その神仏に向かって『三膳の食のうち一膳を捧げ奉ります』て言う。
そうして自分で二膳を食べると、その一膳は神仏が受け取ってくれる。
そうすれば、どんな願いごとでも叶えられる。
小さい願いごとなら一年で、普通の願いごとなら三年、
そして大望は十年で叶うのである」

日月神示と同じことを水野南北は言っている。素晴らしいです。

究極の開運法【食は運命を左右する】10分要約 水野南北著

【水野南北】3年で運勢が良くなる食事:「南北相法・修身録(全)」を解説①【本要約】
【水野南北】100%大開運する生活法:「南北相法・修身録(全)」を解説②【本要約】

日月神示

冬の巻 補帖

食物、食べ過ぎるから病になるのじゃ
不運となるのじゃ
口から出るもの、入るものに気つけよ
戦起こるのじゃ

人間の病や戦ばかりでない
国は国の、世界は世界の
山も川も海もみな病となり、不運となって来るぞ
食べないで死ぬことないぞ
食べるから死ぬのじゃぞ

一椀をとって先ず神に供えよ
親に捧げよ 子に捧げよ
腹八分の二分は捧げよ
食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ
神に捧げずに貪(むさぼ)るからメグリ積むのじゃ
メグリが不運となり、病となるのじゃぞ

運ひらくのも食物慎めばよい
言慎めば良い
腹十分食べてはこぼれる
運は詰まってひらけん
この分かり切った事、何故に分からんのじゃ

捧げるからこそ頂けるのじゃ
頂けたら捧げると今の人民申しているが
それがウラハラと申すもの
衣類も家も土地も、みな神から頂いたので無いぞ
預けられているのであるぞ


人民に与えられているものは食物だけじゃ

日の恵み、月の恵み、地の恵みだけじゃぞ
その食物節してこそ、捧げてこそ、運ひらけるのじゃ 病治るのじゃ

人民日干しにはならん
心配無用
食物、今の半分で足りると申してあろうが


遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ

運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ
そんなこと位で、病治ったり運ひらける位なら
人民はこんなに苦しまんと申すが
それが理屈と申すもの
理屈悪と申してあるもの
低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ
理屈捨てよ
捨ててやって見なされ

みなみな気づかん理(みち)
気づかん病になっているぞ
ツキモノがたらふく食べていることに気づかんのか
食物節すればツキモノ改心するぞ

先ず百日をめあてに
百日過ぎたら一年を
三年続けたら開運間違いなし
病も無くなってうれしうれしとなるぞ
三年目、五年目、七年目
めでたいナァ、めでたいナァ

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする