罪を憎まず人も憎まず

憎まない

人は、人から嫌な経験をすると、人を憎むことがある。
善が神の表れの一つなら、悪も神の表れの一つ。

ですから、基本的に悪を憎んではいけない。


簡単なことはないですが、憎まない努力をすることで、少しずつ憎まないようになる。

悪の経験をするのは、自分の中に悪があるから同じ悪を経験する。
自分の中に悪がなければ、外の悪はなくなる。
自分の中=外の世界。


シルバーバーチは「嫉妬心・貪欲・恨み・憎しみといった邪念は、身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします」と言っている。

人の念は、目に見えないですが、実は大きな力がある。
なんと!身体的行為よりも念の方が、力があることがある

人を憎むと、それがカルマとなり自分に返ってきて、身体的行為よりも嫌な経験をすることになる。
また、病気になったり、歪んだ性格になる。人相も悪くなる。
神はすべてを知っている。


嫌な経験をしても、罪も人も憎まないようにしよう。

日月神示
黄金の巻 第53帖

罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方
神のやり方はその罪をも憎まず


シルバーバーチ

霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。
言いかえれば、内部の神性が日常生活において発現されてはじめて成長するのです。

 

邪(よこしま)な心、憎しみ、復しゅう心、悪意、利己心といったものを抱いているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪(ゆが)んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。

 

嫉妬心・貪欲・恨み・憎しみといった邪念は、身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。
思い切り人をぶん殴ることによって相手に与える身体的な痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方が、はるかに強烈です。


私は憎しみを抱くことはできません。
摂理を知っているからです。
大霊は絶対にごまかせないことを知っているからです。

誰が何をしようと、その代償はそちらにいる間か、こちらへ来られてから、支払わされます。

いかなる行為、いかなる言葉、いかなる思念も、それが生み出す結果に対しては、その人自身が責任を負うことになっており、絶対に免れることはできません。

ですから、いかにみすぼらしくても、卑(いや)しくとも、大霊からいただいた衣をまとっている同胞を憎むということは、私にはできません。

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