私生活や仕事で、人から悪く言われたり、悪さをされたりすることがある。
これは、自分の中にその悪があるから自分が悪い経験をする。
自分の中に悪がなければ、悪を経験することがない。
悪は、同じ悪にのみ働きかける。善には働かない。
悪を憎んではいけない。
自分の中=外の世界
これは、個人だけでなく、家族や国などの、それぞれの単位でも同じことが言える。
私も過去に、学校の同級生に殴られて、顔が大きく腫れ上がったり、仕事の上司から意地悪をされたり、怒鳴られたことが何度かある。
その時は、悔しかったが、後で考えてみると、自分は過去に悪いことや間違ったことをいくつかしてきたので、それが自分に返ってきたのだと思った。
自分のこれまでの悪い行いを棚に上げて、自分が受けた悪を憎むのは間違い。
日々良い行いをして、身魂を磨きカルマを無くしていくと、少しずつ自分の行いが良くなり、また周りの人の行いも良くなってきている。
もう以前のような悪い経験をしなくなった。
悪い経験をしたら、悪を憎まず自分に悪があると反省し、行動を改善していかなければならない。そうしないと進歩しない。
心、言葉、行いで自分の中に悪を作らないことが大切。
日月神示
青葉の巻 第十七帖
「悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ、 悪く言うとメグリ作るのじゃ」
人の悪口をよく言ったり怒る人は、逆に人から悪口を言われたり怒られて嫌な思いをすることになる。
しかし、自分の悪い行動を反省しないので、悪口を言ったり怒ることを何年も続ける。
そして、逆に人から悪く言われたり怒られて嫌な思いをずっと続けることになる。
人から悪く言われると、悪いカルマを取ってもらえたと、いい方向に考える。
日月神示
月光之巻 第53帖
そなたは自分は悪くないが周囲が良くないのだ
自分は正しい信仰をしているのだから
家族も知友も反対する理由はない
自分は正しいが他が正しくないのだから
正しくない方が正しい方へ
従って来るべきだと申しているが
内にあるから外から近寄るのだと
申してあろうが
そなたは無抵抗主義が平和の基(もと)だと申して
右の頬を打たれたら
左の頬を差し出して御座るなれど
それは真の無抵抗ではないぞ
よく聞きなされ
打たれる様なものをそなたが持っているからこそ
打たれる結果となるのじゃ
まことに磨けたら
まことに相手を愛しているならば
打たれる様な雰囲気は生まれないのであるぞ
頬を打たれて下さるなよ
生まれ赤児見よと知らせてあろうが