日月神示によると、霊界の人は、この世と同じように食物を食べるという。
「霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化する」
この世でも、人の内分によって食べるものが、それぞれ違ってくる。人の内分が高まると、食物も質の良いものに変わってくる。
逆に、ジャンクフードなどの質の低いものを好む人は、内分が低い人が多い。
日本の昔の和食は、とても質が高く、日本人に理想的な食べ物。
これは、日本人の内分の高さが関係している。
その他、フランス料理やイタリア料理など、それぞれの国の人の内分によって、食べるものが変わる。
「食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである」
「食べるということは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである」
霊人と食物が調和して、歓喜となる。歓喜とは神のこと。
食物を食べて美味しいと感じることは、神の歓喜が関係している。
霊人は、植物性のものを好み、動物性のものは好まない。
性の遠く離れた食物ほど神の歓喜の度が強くなる。
この世でも植物性の食べ物のほうが、体が元気になるし、健康に良い。
動物性を多く食べると、気分が悪くなる。
植物性がいいのは、歓喜の度の強さが関係していた。
食物を食べることは、神の歓喜を食べることなのです。
地震の巻 第15帖
霊人はまた、いろいろな食物を食している。
言うまでもなく霊人の食物であるが、これまたその霊人の状態によって千変万化するが、要するに歓喜を食べているのである。
食べられる霊食そのものも、食べる霊人もいずれも食べる、ということによって歓喜しているのである。
地上人の場合は、物質を口より食べるのであるが、霊人は口のみでなく、目からも、鼻からも、耳からも、皮膚からも、手からも、足からも、食物を身体全体から食べるものである。
そして、食べるということは、霊人と霊食とが調和し、融け合い、一つの歓喜となることである。
霊人から見れば、食物を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば霊人を食物としての歓喜の中に引き入れることとなるのである。
これらの行為は、本質的には、地上人と相通じる食物であり、食べ方ではあるが、その歓喜の度合いおよび表現には大きな差がある。
食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。
以上のごとくであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのかわからないほどである。
また霊人の食物は、その質において、その霊体の持つ質より遠く離れたものを好む。
現実社会における、山菜、果物、海藻等に相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。
何故ならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強くなって来るからである。
霊人自身に近い動物的なものを食べると歓喜しないのみならず、かえって不快となるからである。
そして霊人はこれらの食物を歓喜によって調理している。
そしてまた与えられたすべての食物は、悉(ことごと)く食べて一物も残さないのである。